凰建設の森です。
本日はお昼から現場の検査日。
夏の終わり感が出てきましたが、
まだまだ暑いです。
熱中症に気をつけて行きましょう。
さて、本日の話題は、
なぜ会社によって設計の自由度が
違ってくるのかというお話です。
昨日ご契約を頂いたお客様との
話の中で、今、同僚の方でも
家づくりをしている人が多いが
会社によって自由度が違うんだろうな
と感じているという話が出ました。
同僚の方から、希望していた
間取りや設備ができないという話が
沢山出てくるんだけど、
凰建設では基本的にNOと
言われたことが無い。
同僚と話す時には、
凰建設はなんでもできるし
何でもやってくれるよー。
って言ってますとのこと。
おかげさまで弊社の知名度が
少し上がってきているみたいで、
凰建設で建てるのいいなぁと
羨ましがっていただける同僚も
いらっしゃるみたいです。
紹介したいけど竣工が2年先
だからなかなか勧め辛いと。
今現在、鋭意着工能力枠を
拡大中でして、恐らく今
お申し込みを頂いても、
2年はお待たせしなくても済む。
まだ普通の会社よりは
長いかと思いますが、、、
という事で今日の本題ですが、
設計の自由度の違いはどこから
やってくるのかというお話。
設計の自由度が違うというのは
その建築会社の制度による所が
大きい、というよりもそれが全て。
何に対してもNOを言わない会社
頻繁にNOが出てくる会社。
一般論として、小さな会社ほど
NOが少なくなります。
大きな会社ほどNOは多くなる。
建物を効率よく建てるためには
量産効果を出すのが手っ取り早い。
量産効果を出そうと思うと、
種類は多くしたくない。
世の中の7割くらいの要望に対応し
3割のイレギュラーは捨てる。
そのくらいだと、売れ筋にリソースを
割り振ることができますので、
面倒な個別対応が少なくなります。
そうやって、NOを増やしていく。
これは建築会社としたら、
攻めていくための前向きなNO。
あえて作っているNOになります。
もう一つ、NOが出来る理由がある。
そちらは、どちらかというと
後ろ向きなNOになります。
それが、各設計担当者のレベルを
合わせるためのルールからくるNO
2023年現在でも、注文住宅のうち
半分くらいは、建築士の資格を
持たない人が設計しています。
建築士を持っているとしても、
その知識は千差万別。
何も知らないひよっ子の設計者が
設計したとしても、欠陥住宅が
出来ないような、設計のルールが
どうしても必要になってきます。
だから建築基準法に加えて、
独自の社内ルールが出来上がる。
弊社にだってあります。
耐震等級3を取れない図面を
提案してはいけないとか。
そのルールは、どうしても、
ボトムの人に合わせて
設定していく必要がある。
あなたが誰かに対して、
車の試乗イベントみたいなのを
開催したとします。
対象が30歳以上かつ免許を
持っている人限定であれば、
比較的自由に乗らせるかと。
じゃあ、対象が高校生だったら?
エンジンはかけてみてもいいけど、
走行させることはしませんよね。
対象が小学生だったら?
多分キーを近くに置かずに、
エンジンすら掛けさせないのでは?
運転席に乗ってハンドル持つだけで
充分喜んでくれるはず、みたいな。
社内の設計者のボトムレベルが、
上記の例えで言う小学生みたいな
ものだったとしたら、ルールは
厳しく設定せざるを得ません。
そういう新人を管理する
設計者っていないんですか?
はい、残念ながらいない会社もある。
契約を取れる間取りが良い間取りだ。
みたいな感じで上司が言ってるなら、
どんなトンデモ図面が出てくるか
分かったもんじゃない。
だから、会社として一線を越えて
しまわないよう、ルールを厳しく
設定する必要があります。
その結果、お施主様からすると、
レーシングカートの走行会かと
思って参加したら、
ゴーカートのイベントだった。
みたいな思い違いが出る訳です。
全然自由じゃないし面白くない。
ゴーカートだと思って最初から
参加していれば想像と違う
という感想は出ないのですけども。
ネガティブな理由で出来るNOは
こんな感じで生まれてきます。
自由度というのは設計者の能力で
決まる面もあるという事ですね。
これ、家づくりだけの話ではない。
自由というものの正体とは、
実は能力の事なんですね。
自由とは、欲する人の能力に
よって与えられるもの、
もしくは自らの能力によって
勝ち取るものになります。
あなたが職場で自由にやりたいと
思った時に、上司から見てあなたが
自分で正解を導き出せると思えるなら
自由にやる権利を手に入れます。
部下が自分で考えて自由にやってみても
いいですかと言ってきた時に、こいつには
とても無理だと思ったら、完全に自由には
させないはずです。
F1カーを与えられて自由にしていいよ
と言われたとしても扱う能力が無ければ
事故を起こして終わりになります。
私がプロ仕様のカメラを与えられ、
自由に撮ってもいいと言われても、
多分今以上の写真はすぐには撮れない。
現代社会において能力の高い人は
自由の多い世界で生きる事になる。
反対に能力の低い人は、
自由の少ない世界で生きる事になる。
老後に2000万円無いとダメだと
言われると、殆どの人は暗い気持ちに。
会社の経営を失敗したら大きな
お金を失うと思うと怖いから無理。
資本主義社会において最も
端的な能力とは、稼ぐ力です。
もしくは現在保有している経済力。
しかし、その稼ぐ力に根拠はあるか。
もし、自分に何らかの秀でたものが
あり今の収入につながっているという
確信があるのであれば、あなたは自由。
職場を変えたり自分で起業したり
自由に出来るんです。
しかし、自分の稼ぐ力の根拠が
自分で分からなければ、あなたは不自由。
年を経るごとに今の環境にしがみつくしか
生きる術はなくなっていきます。
これは私に言われなくても、各々
痛いほど感じていると思います。
本当に能力のある人は、
定年退職しても稼ぎ続けるから
2000万円なくても不安じゃない。
自分の能力をお金に換える術を
知っている人であれば、
会社が潰れる事を怖がりません。
投資をするのがブームになってます。
お金はあればあるほど安心感が増す。
40代のうちに2億円貯めたら、
会社を辞めて人生ドロップアウト。
そういう夢があってもいいと思う。
しかし、お金があって能力が無い
という状態は、自由かというと、
そうではありません。
仮に50代終盤でその2億円が
吹っ飛ぶような事があった時、
稼ぐ力があるのであれば、
しゃ―ねえな、また稼ぐか。
くらいに受け止められる。
60歳の時点で稼ぐ力が無く、
残りの人生を過ごすための
お金がない状態というのは
想像しただけで恐ろしい。
しかし、そういう恐怖に
心の中で怯えながら生きている
人は少なからずいます。
お金があって稼ぐ力がないと、
人は途端に財布の紐が硬くなる。
それはいくらあっても。
今、日本人の貯蓄の多くは
65歳以上の高齢者が持っている。
政府は高齢者の持っているお金を
市場に出してほしくて必死。
しかし、個人で稼ぐ力を持たない
高齢者世代が、虎の子の預貯金を
おいそれと使う訳はないんです。
死ぬまでお金を持っていないと
不安でたまらない。
それが能力が無くお金がある状態。
それと対極にいる人もいます。
↓ ↓
%url1%{https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%9C%9F%E6%BE%84}
有名企業をを43歳で退職独立。
86歳現在、未だ稼ぎ続けている。
「自由とは能力」を表す一例かと。
投資に精を出すのもいいけど、
心の底からの自由と安心感を
得たいのであれば、自分が
死ぬまで糧を得続ける事が
できる能力を身に付けた方がいい。
お金は他人に盗られますが、
知識、技術、能力は盗られない。
家族の作るごはんが美味しくて
仕方ないという人と、
家族の作るごはんが不味い
という人では外食の頻度が違う。
美味しいごはんを作る能力が
低いと美味しいごはんを
食べるために外食をしなくちゃ
ならないのでお金が掛かります。
能力が低くて自分に出来ないことが
多いほどお金が掛かるのが社会の仕組み。
出来る事を増やすほど、
人生お金が掛からないんです。
生きるためのコストを下げ、
お金に依存しなくて済むように
なるのが、能力を高める事。
それはイコール自由になります。
預貯金の額を高めるのもいいですが
自分の能力を高める事の方が
優先順位は高いし、その為に
お金を使った方が将来の
自由と安心が手に入ります。
もし、自分が能力を高めるために
努力するのが無理だと思うなら、
それこそ子ども達に投資を
してあげるべきだと思います。
自分が将来野垂れ死ぬような
事になっても子ども達には、
豊かな人生を送ってほしい。
人類はその一心で、後の世代に
なるほど豊かになる世界を
作ってきたのですから。
話を戻しますが、もし、あなたが
自由度が低い建築会社だなと
思ったら、それはその建築会社の
効率化と、設計の能力の低さを
補うための制度からくるものです。
自由度が低い事が悪い訳じゃない。
誰もが失敗しにくい家が出来る
というメリットもありますから。
ただ、自由度の高低が自分の
思うものと一致していることが大事。
やりたい事がたっくさんあるのに、
自由度の低い建築会社に依頼すると
ストレスがたまるでしょうし、
そんなにこだわりが無いのに、
フルオーダーの会社に頼むのは
ちょっともったいない話です。
その辺を見極められるように
なるためには、やっぱり勉強。
家づくりの施主としての
能力を磨いていきましょう。
頑張ってくださいませ。
